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イギリスの英雄
2005年 07月 21日
MotoGPのサイトに気になる記事があるんですよね。'79年のバリーシーンとキング・ケニーが競り合ったレースについて・・・。この記事の主役はケニーなんだけれども、イギリスGPにちなんで、MotoGPの殿堂入りにも名を連ねる"サー"バリーシーンの事を思い出してみました。
サーの称号を持つグランプリライダー、バリーシーン。彼が癌によってこの世を去ったのは、記憶に新しい'03年の3月10日。まだ52歳という若さだった。幾度ものレース中の事故にあいながらも、必ずサーキットに戻って来た不屈の男。この'76年、'77年の世界チャンピオンは、彼の後に3年にわたってタイトルを獲得したキングケニーよりも長く、'84年まで現役で走り続けた。 彼は'82年にシルバーストーンで怪我を負ったが、翌'83年には復帰して、引退までの2年間をプライベーターとしてRGBを駆りグランプリを走っていた。自分がロードレースに興味を持ったのが丁度その頃だったので、ぎりぎり彼の現役時代を雑誌等で見たけれど、その伝説のほとんどはリアルタイムで知る事は出来なかったため、当時はなんとなくスゴイ人、ぐらいには思っていたものの、彼の本当の偉大さは、その後レース誌などで少しづつ知る事になるのだが・・・。 '75年、デイトナのバンクで280kmの速度からクラッシュ、左大腿骨、右手首、右前腕、右鎖骨、6本のろっ骨、背骨も数カ所圧迫骨折という重体になりながら、わずか7週間で復帰、3ヵ月後のアッセンでGP初優勝を飾り、'76年、'77年とタイトルを獲得。'80年には複雑骨折で小指を切断するという不幸に合い、さらに'82年のシルバーストーンでは、270km/hのスピードで、転倒していたマシンに激突し、両下肢と左足首粉砕骨折、左膝、左手首、左手薬指複雑骨折。この大怪我からも翌年には復帰し、プライベートエントリーながら、表彰台に登った姿は自分も憶えています。 その度重なるクラッシュで、全身にプレートとボルトが埋め込まれた彼は、空港の金属探知機対策に、常にX線写真を持ち歩いていたという。 サーの愛称は、実際に英国王室から「M.B.E」(the Member of the British Empire)の称号を授かったことが由来。 ムービースターかミュージシャンを想わせる様な風貌と、タバコを愛し、常に洒落た雰囲気を漂わせながら、いざレースになれば怪我も寄せ付けない強靭な精神力とテクニック。彼ほど人間的魅力にあふれたライダーは他にいなかったかもしれない。彼がタイトルを取って以降、イギリス人のチャンピオンは出ておらず、記憶に残るイギリス人ライダーと言えば、「ロケット・ロン」ハスラムぐらいしかいないのは少し寂しいですね。 彼のトレードマークはドナルドダックのヘルメットと、子供の頃ラッキーナンバーだったと言うゼッケン7。FIMに反対されながらも、チャンピオンになっても変える事は無かったそのゼッケンは、彼の訃報の後、イギリススーパーバイクの永久欠番となった。 彼の薦めでスズキ入りしたシュワンツの#34もバリーのアドバイスによるものであり、さらに、現在イギリスに住み、「ドクター」の称号を持つ、#46を付けたままのチャンピオンにも多大な影響を与えたのかもしれない・・・
by tepidity
| 2005-07-21 23:09
| MotoGP
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